鸭长明《方丈记》养和饥馑

Kamo no Chōmei should have considered himself, as well as his contemporaries, lucky not to have to witness first-hand famine-induced cannibalism, a practice unspeakably hideous yet not that rare in human history, and which indicates that the city’s social order has completely collapsed.

王兄又选错分类了,怕是hua老大又要禁言了,耗子尾汁⑧

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你又选错分类了,继续小黑屋。

最近刚好在学习古典日语,也学到了这篇文章,摘录原文如下,有兴趣的可以看看(翻译的话,King Cold North已经给出了)

关于养和饥荒,其是指日本养和(安德天皇年号名)年间(公元1181-1182年)发生的全国性大饥荒。由于春夏季节无雨,秋季又遭逢台风洪水,粮食几乎颗粒无收。而此次大饥荒又正逢治承・寿永之乱(1180年-1185年),即治承4年起,日本皇族平氏和源氏两大家族为争夺政权而引发的兵乱,日本百姓的境遇可谓雪上加霜。(有关源、平对战的具体细节,在较为著名的军事物语文学作品《平家物语》中有绚丽的描写,有兴趣的可以找来看看。)

“养和”这一名称来自于《后汉书·逸民列传》:“ 幸得保終性命,存神養和。”:

また養和のころとか、久しくなりて覚えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。あるいは春・夏日照り、あるいは秋、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うる営みありて、秋刈り、冬収むるぞめきはなし。

これによりて、国々の民、あるひは地を捨てて境を出で、あるひは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらさらそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みな、もとは、田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。乞食、道のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。

前の年、かくの如くからうじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。はてには、笠うち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはんや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。

あやしき賤、山がつも力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹つき、箔など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを尋ぬれば、すべきかたなきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世にしも生れ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。

またいとあはれなることも侍りき。去りがたき妻・夫持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも彼に譲るによりてなり。されば、親子あるものは定まれることにて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、臥せるなどもありけり。

仁和寺に隆暁法院といふ人、かくしつつ数も知らず死ぬることを悲しみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人数を知らんとて、四・五両月を数へたりければ、京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、道のほとりなる頭、すべて四万二千三百余りなんありける。いはんや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原、白河、西の京、もろもろの辺地などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはんや、七道諸国をや。

崇徳院の御位の時、長承のころとか、かかるためしはありけりと聞けど、その世の有り様は知らず。まのあたり、めづらかなりしことなり。

注:上面这段文本中,“世の人みなけいしぬれば”的“けいし”意义不明,在《方丈记》的众多版本中只有大福光寺本和前田家本写作“けいし”,其余版本或写作“病み死(やみし)”,或写作“飢へし”,这两种均是常见含义。但考虑到大福光寺本的权威性,则不能单纯认为“けいし”是讹字。对此,日本学者一般将其解读为“飢(けい)し“,或者”係(けい)し”,或者“飢死(けいし)”等。究竟哪一个最为准确,目前仍然没有定论。

藐视分类啊,这是。

藐视分类啊这是。